私は昭和33年夏、世界初のジェット旅客機「コメット」のロンドンー東京-ハワイーニューヨーク定期便を開設した英国海外航空(BOAC、現BA)東京支社に入った。羽田空港勤務で仕事の内容は乗客の荷物の搬送、航空貨物の取り扱い等である。24時間勤務で3日おきに1日の休みがあった。給料は非常によく、大卒の初任給くらいはもらえた。
ハワイからの便にはパイナップルを持ち帰る人がかなりいた。完熟したパイナップルは遠くからでも強く匂うのですぐわかるのだった。そのパイナップルを田舎の両親に送りたいと思った私は、スチュワーデスに頼むことにした。
BOACの日本人スチュワーデスは4人だけだった。いずれもミス日本に選ばれても不思議ではないほどスタイルがよく、美人だった。ツンとしている人が多いなかで、ときどき口をきいてくれる森永さんというスチュワーデスがいた。きさくなお姉さんだった。彼女に頼むと「いいわよ」と二つ返事で引き受け、1週間後のフライトで持ち帰ってくれた。代金を払おうとすると、「一個150円たからいいわよ」と受け取ろうとしなかった。
その森永さんが昭和34年3月10日、東京都杉並区の善福寺川で死体となって発見された。私にとっては一大ショックだった。まもなくベルギー人のカトリック神父が容疑者として浮かんだ。しかし日本人の間では「神父がそんなことするはずがない」と考える人が多く、冤罪ときめつけて神父にインタビューする作家まで現れた。警視庁もそうした空気に遠慮したのか、捜査に慎重となり、神父はベルギーに帰国してしまい、事件は迷宮入りになってしまった。
カトリック神父によるセックス・スキャンダルがここ数年明るみに出て、神父への信頼は落ちてきている。今の世だったら森永さんの霊も慰められたろうにな、と思うこのごろである。